言語の美しさについて考える
『言語の美しさ』
今このテーマで令和哲学カフェが開催されています。
日常考えないようなこと
でも、質問されたら「うーん」って考えてしまうし
考えた分だけ、なるほど!と気づきが止まらない
そんな感覚で毎日参加しています
『言語とはなんなのか?』
『言語が美しくなる条件とは?』
昨日はこんな質問から始まりました
・疎通の道具であるのが言語である
・この世界を規定するのが言語だ
・知っている世界を表現するのが言語だよ
言語に対しても人それぞれのイメージがある
言語のパートに入って昨日で2日
2日間を通して今私が感じているのは
美しい未来を創造するための道具が言語なのかなと
そんな風に思う
今、目の前に広がる世界を表現する道具であり、
過去の歴史に対しての美しい解析をし
それを共有するための道具でもある
もちろん、未来についても同じこと
どんな未来を創造したいのかという理想を
現実のものとして創り上げていく
そのために夢・Visionを共有したり
これまで感じてきた涙を表現したり
深い関係を築き未来に向かうエネルギーとするもの
それが言語なのかなと思う
でも、言語には限界もある
それはいくらコミュニケーションしても
みんなイメージがバラバラだから分かり合うことは無理だということ
この大前提があったら
私の思う世界は言語というものを道具には作れない
じゃ、その言語の限界をどうやって突破するのか・・・
問いを持てば答えが必ずやってくる
【?⇒!】
モヤモヤからスッキリへ✨
言語パートは残り3回!
どんな気付きが得られるのか
そして、その気づきを今の生き方にどうつなげていけるのか…
楽しみ♪