自由な存在になるための条件
自由な存在になるための要素、条件とは?
今日は自由についてがテーマです。
≪ニーチェと令和哲学≫ 3日目
人類の歴史から見た時に
自由とは、何かに勝利して勝ち取るものそんなイメージがあります
自由とは自然に得るものなのか?
それとも戦いに勝利して得るものなのか?
ニーチェの自由には2つの条件があるそうです
①責任をとること(内)
②権力の意志に勝利すること(外)
①責任をとること(内)
最高の自由の道を見ているなら77億に対しても自分が責任をとる
その覚悟と実践ができる時、人は自由になれる
自由=責任
目の前に詐欺師がいるのなら、その詐欺師は自分の責任によって存在している
でも、だから自分の責任で変えることもできる
どこまでの責任をとれるのか。それが自由につながるんだということ
②権力の意志で勝利すること(外)
自分の中で欲望・欲求を統制・制圧できないとモデルにはなれない
でも統制・制圧できるようになればあふれ出す力を感じるようになり
その力を感じれば外からのどんな力でも制圧・統制して自由になれる
この内と外の勝利ができた時に自由になれるし、その範囲が自由の領土になる
自由に対してのイメージが変わった瞬間でした
令和哲学カフェを通して哲学は、その時代や、そこに生きる人間をどう観るのか
そして、そこから自由になるための観方や方法を提示しているもの
そんな風に観ることができるなと私は思っています
そして、それは世の中に対するメッセージ
自由の条件を見た時に、
メッセージを発信するというのはそういうことかと思いました
それは、世の中にメッセージを発信することは責任も伴うということ
発信するということは、いつ誰の目に止まるかも、
耳に入るかもわかりません
自分が責任をとる!という覚悟と実践のあるメッセージなのかどうか
ニーチェの力強さを感じながら、
令和哲学の英雄産業を発信できることの凄さも同時に感じました!
以前にNoh先生から
全ての問題を一掃するnTech 全ての問題を解決する集団知生体
こんなフレーズを聞いたことがあります
ニーチェの自由の領土の話にも、昨日の健康な社会の話にも
つながることだなと思います
健康な個人(77億人への責任をとれる個人)が
自由の領土をどこまで広げることができるのか
私たちが生きていく中で必要な哲学
令和哲学によって、こんなにも日常とつながる哲学として出会えていることに
感謝だなと感じています^^
4日目は身近なテーマを題材にしたWHT!
たのしみ♪