今ここ感じることブログ

今の時代にどんな生き方が必要とされているのか。どんな生き方がしたいのか。自由に表現していく為のブログ☆

人の話が聞けない・・・(泣)

ドゥルーズと令和哲学≫

4日目の今回は身近な質問をテーマにした内容になります

 

人の話が聞けない

本や新聞を読んでも話が入ってこない

そんなことってないですか?

・・・私はよくあります(笑)

だから、今回はとっても興味深いテーマなのです!

 

『人の話が聞けないのは何が欠乏しているから聞けないのか』

 

大前提、全てが自分から出発しても

どこの観点をとるのかで主張は違ったものになってきます

 

全てが自分だから、自分が全て!だから他人になんて興味がないんだ!

こう言ってしまったら人への興味はなくなるから当然人の話は聞けなくなる

 

一つなのにどうして自分と他が存在するのか

どうして自分と自分じゃない世界が存在するのか

その関係性を理解したら人の話が聞けるのではないか

 

そもそも自分が何なのかもわからないのに他人もわかるはずがない

その中で人の話をきくなんて無理なんだから

この体の自分をわかることで他人もわかるようになるのではないか

 

自分がゼロになれば相手の観点にも移動することができるようになる

そしたら相手の観点を聞けるようになるのではないか

 

自分も相手も何なのかをわかり、自分の観点も相手の観点もわかった時に

絶対安心の心がうまれる

その安心感を得た状態でないとそもそも人の話なんて聞けない

 

それぞれの観点に対して主義主張しながらも

最後は融合に持っていくのがこのWHT

これ、今までの学術的な脳では実はできないことなんですよね

なぜかっていったら、一人ひとりの観点の共通をとって

その共通点での融合をつくろうとするから、実は共通でない部分は

切り捨てられちゃうんです

融合した観点には必要ないよって

そうすると、共通の部分を取って融合した新しい観点を生み出すことができても

その新しい観点から元の観点に戻ることはできなくなってしまう

結局融合したと思っているけど部分的な観点を作り出したって

ことにしかならないんです

でも、WHTでは無から有が生まれる仕組みで組み立てていくので

全てを含んだ新しいストーリーを生み出すことができるんです✨

今回も美しいストーリーがつくられていました!

 

自分が今までの人生の中で癖付けてきたパターンを持ち続けていたら

人の話も聞けないし、幸せにもなれません

情報を得たら、それはすべて不信を蓄積しているようなもの

脳のウイルスに負けてしまえば孤独がひどくなっていきます

こんなパターンに陥っていったら人の話なんて聞いている場合じゃないですね。。。

だからオールゼロ化は絶対条件です

瓶鳥の外になって、無限のやる気と自信感をもつこと大事ですね!

 

 

そして、ドゥルーズ哲学は強度だと言われますが

わかるようでまだあまり明確ではない。。。というのが正直なところです

今日は、5日目でまとめになります!

ドゥルーズ哲学と令和哲学!乞うご期待✨

 

reiwaphilosophy.com

生命の強度とは・・・?

さて、≪ドゥルーズと令和哲学≫

今回で3日目になりました

 

前回のニーチェに引き続きのドゥルーズです

ニーチェが西洋の歴史文明は間違っていると全てハンマーで壊した人

だとしたら、そのニーチェ以上に哲学的な概念を構築しているのがドゥルーズです

ドゥルーズに対しての関心度があがります!

 

そんな今回のテーマは

『生命の強度を上げるためには何が必要なのか?』

死ねないから生きている・・・

毎日、機械的条件反射しているだけ・・・

そんな生き方では決して生命の強度があがっているとは言えません

毎日寝る時に、今日は最高の1日だったなーって思えるのか

あなたは思えていますか?

 

じゃ、そんな毎日を送るためには一体何が必要なんだろうか?

私がパッと思ったのは、今ここの感動能力をいかに上げあられるのか

ということでした

(これも瓶の中の感動なのか、

 瓶の外も取り入れた感動なのかでイメージは大きく変わります)

ちなみに、WHTではこんな観点が出ていました

・変化違いを認識それを楽しめる心感覚

・全てを愛せる無我境地

・自分の役割を明確に発見して人とつなげることができる

・自分の実践行動で本当に変わっていくのかの質問

・毎日深い・広い感情の爆発

どれも聞けば納得の観点です

でも、ここからお互いの主義主張がはじまり、

論破したり、VISION同盟したりのコミュニケーションが繰り広げられます

 

毎日見ていて思うのですが

WHTは1時間半ある全体時間の中の恐らく30分くらいの時間で行われているのですが

本当に情報の濃度が濃いんです!

逆に言ったら、毎日の生活の中でいかに時間をかけながらも

濃度の薄いコミュニケーションを行っているのかということですよね

あ、濃度の濃さというところで考えたら

これも人生の強度につながることかも!と今ここ書きながら気づく・・・(笑)

 

ドゥルーズは強度は一人ひとりの個性だと言っています

そして同じものではないんだということ

常に変化している世界では喜びも同じ喜びはありません

幸せも悲しみもすべて違うものであり、そこには強度があります

 

でも、その強度も瓶鳥の中で高めようとしても限界があります

瓶の外の凄すぎる世界から、瓶の中の意味のなさ、価値のなさがわかった時に

瓶の中の人生をアートにして生きることが初めて可能になります

それが、人生の強度を上げることができる世界につながるのです

 

令和哲学ではいいます

ライフスタイルを美しくて素晴らしいものへできるのは芸術しかないと

宗教の時代⇒科学の時代⇒そして次は美学の時代なのだと

イメージ不可能(絶対世界)=イメージ可能(相対世界)にできるのか

これが強度をあげるためのキーワードだと今日は理解しました^^

喪失感とは何なのか

自分の大事な人をなくした喪失感

喪失感とは何なのか、どうやって超えるのか

それが今回のテーマです

 

ドゥルーズと令和哲学≫ 2日目

【10/2〜10/9】ドゥルーズと令和哲学 | 令和哲学カフェ

今日からいよいよWHTが始まりました^^

 

あるのが当たり前、いるのが当たり前

誰よりも大切な人がいなくなってしまったら。。。

そんなこと想像するだけでとても悲しい気持ちになります

その喪失感をどうやって超えるのか

 

私たち人間は何が起きているのかの出来事を重要視します

が、しかし…

実はそれは重要ではないよといっているのが今回の話です

重要なのは、起きている出来事に対してどう解析するのかなのです

 

大切にする存在がなくなることは嫌ですよね

でも、ちょっと考えてみてください

実はそれは今もこれからも死ぬまでずっと繰り返します

いくら切れない関係性っていえるほど仲がよくなったとしても

いつかは別れが訪れます

私たち人間は死んで生まれ変わっても、失うことからは逃れることはできません

生命には命があるので、それはそうですよね

ニーチェのいう永劫回帰の世界です

 

そんな状態も最高の喜び歓喜の状態に変化させることができるのか

そうしないと、ずっと喪失感の中・・・ということになります

ここで大事になってくるのは、喪失感も解析の結果であるということ

だから喪失不可能な世界の解析ができるのか

=脳をどう超えるのか

 

脳の中(瓶鳥の中)にいたら、苦しい事や喪失感を超えることはできません

だから脳を超えること

無意味の意味 無価値の価値

この世界には意味がないことがわかった時にどんな意味も価値もつけられる

そのためには完全認識が必要!

 

存在から今ここを見るのか(脳)

無から今ここを観るのか(心)

心が脳に勝つ時代!ドゥルーズ哲学とともに深まります✨

今ここの哲学

ニーチェと令和哲学≫ 5日目 最終日です

今日はニーチェ哲学と令和哲学の比較

 

まとめの会になりますが、今日はこんな問いから始まりました

200歳まで生きることができて

200兆円ものお金を持っている

そして200人のいつでも電話したら食事できる友達がいて

更に1分で縄跳び200回くらいの健康状態

そんなあなただったら何をする?

全てが満たされた状態だったら、何を望むのか?

それが哲学

 

なぜなら、それだけ満たされる状態が整っていたとしても

幸せになれないのが人間だから

一体何が足りないのでしょうか?

 

令和哲学では、人間とは何なのか?

この答えがわからないと人間は幸せにはならないと言っています

そして、その明確な答え=完全認識の獲得だと言いきっています

 

令和哲学では瓶鳥の絵がおなじみになっていますが、

この絵一つがあることがどれだけ理解に役立っているのか

瓶鳥の絵のパワーをめちゃめちゃ感じました!

イメージを共有する絵がなかったら言葉にとらわれ

そして言葉から連想するそれぞれのイメージでの解釈が行われ

共通の理解を持つということがそもそも不可能です

カント・ヘーゲルニーチェの西洋哲学を

こんなにも気持ちよく受け入れることができるのはこの瓶鳥の絵のおかげです^^

 

さて、ニーチェですが、ニーチェを通して哲学ってこんなこといっていたの!?

と、大きくイメージが変わっていきました

①神は死んだ

②Will to power

永劫回帰

代表的なものの羅列ですが、

ニーチェ哲学はこの時代の当たり前をきれいに否定して

自らの意志によって創り出していくことを主張していることに感動しました

令和哲学的な表現にはなりますが、

自分の感じたい感情、創りたい未来を設計する

自分の人生を設計して楽しむことができるのか

それがWill to power!

すごいですね!

 

でも、そんなニーチェにも限界がありました

それがWill to power!!の力への意志の発見はあったけど

そこから、人類を成功に導く勝負ができなかったということです

それは、Will to powerとこの現実を明確につなげることができなかったから

瓶鳥の中の虚構が生まれる仕組みが明確ではないからです

 

令和哲学ではそのWill to power(絶対世界)とこの現実(相対世界)の関係性を明確に説明します

それができるのが完全認識なのです

完全認識を得ると今ここ、何かの条件が整っているとか関係なく

最高な世界なんだということがわかります

瓶鳥の外(絶対世界)と瓶鳥の中(相対世界)の関係が明確ということは

この世界が生まれる仕組みがわかるということでもあります

ということは、決められたシミュレーションも自らの意志で変化させることができてしまうんです!

 

そして、私が感動したのは、

本物の命題になるためには事実として認められることが必要なんだということ

これは確かにその通りですよね

多くの研究結果というものは、それが証明できるから世間に認められるわけですから

そこに対して令和哲学では新しい感覚をつけることができるんだといっています

でも、感覚って目で見たり耳で聞こえたりするものではないので

事実としてあらわすのって難しい

でもその新しい心感覚の感覚をつけた人がある程度増えたら

それは事実化してしまうんだということ

ピアノの達人にピアノの感覚があるように

ギターの達人にギターの感覚があるように

哲学の達人として哲学の感覚をつけること

そして、その感覚をつけている人を増やしていくこと

 

なんだかとてもわくわくしました^^

カント・ヘーゲルニーチェ・・・

それぞれの限界を否定したり、補ったりしながら引き継がれてきた西洋哲学

そんな西洋哲学を底上げしてより明確な

人間が今ここ使える哲学である令和哲学

 

楽しいぞ!

ドゥルーズの哲学はどんな哲学?

新しいシリーズが始まりました。

10月2・5・6・8・9日の5日間は

ドゥルーズと令和哲学≫です。

 

まずは1日目ドゥルーズについてのお勉強!

 

ニーチェ以上にニーチェだ!というのがドゥルーズだそうです

西洋哲学の歴史から、哲学を理解していくと

とても面白いなと思います

 

古代・中世に時代

科学も物理額もまだまだ当たり前ではない時代

この宇宙はどうやって生まれたのか・・・

世界の根源、宇宙の根源は何なのか・・・

様々な主張があるけれど、それは検証不可能な世界でした

だから、その当時は信じる世界

万物の根源は神だ、それが当たり前の世界でした

神によってこの世界全てが創造されたのです

そこから出発すると、

全てを創造した神、神によって創造された人間という構造になり

ここにはとても大きな格差が生まれます

この格差を解決できなかったのが西洋哲学であり、

そしてギリギリつなごうとしたのがニーチェドゥルーズなのです

 

それってどういうこと!?

ギリギリつないだってどういうことなんだろう!?

 

ニーチェの力強さというか

突破する意志にかなり感動したところから

ニーチェ以上にニーチェだといわれるドゥルーズはどんな哲学なのか

 

今日から始まる5日間わくわくが止まりません♡

伝えたいのに伝わらない

身近な悩みを題材にした≪ニーチェと令和哲学≫ 

本日で4日目です

テーマは伝えたいことが伝わらない。。。

なぜ伝わらないのか、どうしたら伝わるのか

 

これ、私よくあります!

・伝えたいのに伝わらない・・・

・なんかちょっと違くなっちゃったな

・私の話じゃなくて相手の話になっちゃったな

・なんでそうなっちゃうの⁉  等々

伝わらないだけならまだしも、

自分の意図しない方向に話がすすんでしまうこともあり

・・・どうしようってなることもあります

 

ニーチェは、伝わらない原因である言語、意味、概念を全てを切りました

知っている世界でコミュニケーションをする

人と人のコミュニケーション文化が間違っているんだと言っています

そしてイメージ不可能なWill to powerの必要性を伝えました

Will to power=人間を動かす源泉的な動機

そもそもこのWill to powerのない世界でコミュニケーションをとれば

伝わらないのは当たり前であるということです

 

 

令和哲学で言えば

『Will to power=完全認識』

完全認識を得ない状態でメッセージを伝達しようとしても伝わらないもの

それなのに、伝わると思うから悲惨で残酷で屈辱的な思いをする

相手がコップを準備しているところにコーヒーを注ぐのならいいけれど

コップの準備もなくコーヒーを注げば、熱いっ!ってなるのと同じで

受け入れる準備である共通土台がない状態だったら受け入れることなんてできないもの

 

確かに・・・

 

そして、今までの理性では人間は奴隷化された状態です

その状態で様々な開発が行われています

だからこそ、今までの理性をもとにするのではなく

今ここ凄すぎる世界を認識できるようにすること

それが共通土台になることが必要だといっています

そして、それが完全認識によって得られるのです

 

令和哲学では言っています

人生は手段・道具である

目的は完全認識を獲得することである と

 

今ここで使える哲学

今ここから新しい道を築くことができる哲学

新しい産業を生み出すことができる哲学

それが今までの西洋の哲学も全てを含んだ令和哲学だと私は思います

次回はついにニーチェと令和哲学の最終日

ニーチェ哲学と令和哲学の違いについて学べます^^

 

楽しみ♪

自由な存在になるための条件

自由な存在になるための要素、条件とは?

今日は自由についてがテーマです。

 

ニーチェと令和哲学≫ 3日目

 

人類の歴史から見た時に

自由とは、何かに勝利して勝ち取るものそんなイメージがあります

自由とは自然に得るものなのか?

それとも戦いに勝利して得るものなのか?

 

ニーチェの自由には2つの条件があるそうです

①責任をとること(内)

②権力の意志に勝利すること(外)

 

①責任をとること(内)

最高の自由の道を見ているなら77億に対しても自分が責任をとる

その覚悟と実践ができる時、人は自由になれる

自由=責任 

目の前に詐欺師がいるのなら、その詐欺師は自分の責任によって存在している

でも、だから自分の責任で変えることもできる

どこまでの責任をとれるのか。それが自由につながるんだということ

 

②権力の意志で勝利すること(外)

自分の中で欲望・欲求を統制・制圧できないとモデルにはなれない

でも統制・制圧できるようになればあふれ出す力を感じるようになり

その力を感じれば外からのどんな力でも制圧・統制して自由になれる

 

この内と外の勝利ができた時に自由になれるし、その範囲が自由の領土になる

自由に対してのイメージが変わった瞬間でした

令和哲学カフェを通して哲学は、その時代や、そこに生きる人間をどう観るのか

そして、そこから自由になるための観方や方法を提示しているもの

そんな風に観ることができるなと私は思っています

そして、それは世の中に対するメッセージ

 

自由の条件を見た時に、

メッセージを発信するというのはそういうことかと思いました

それは、世の中にメッセージを発信することは責任も伴うということ

発信するということは、いつ誰の目に止まるかも、

耳に入るかもわかりません

自分が責任をとる!という覚悟と実践のあるメッセージなのかどうか

 

ニーチェの力強さを感じながら、

令和哲学の英雄産業を発信できることの凄さも同時に感じました!

以前にNoh先生から

全ての問題を一掃するnTech 全ての問題を解決する集団知生体

こんなフレーズを聞いたことがあります

ニーチェの自由の領土の話にも、昨日の健康な社会の話にも

つながることだなと思います

健康な個人(77億人への責任をとれる個人)が

自由の領土をどこまで広げることができるのか

 

私たちが生きていく中で必要な哲学

令和哲学によって、こんなにも日常とつながる哲学として出会えていることに

感謝だなと感じています^^

4日目は身近なテーマを題材にしたWHT!
たのしみ♪